概念という名の概念

何を書くと思いますか?想像してみてください

刹那嗜好の地層調査

思考のメモです

 

音楽はサブスクが流行ったことによってイントロが短くなっただの詰め込む展開が多くなっただのやんややんや言われていますね。わたしはJPOP?みたいな世間的ポピュラー(頭痛が痛い)な曲を聴く機会がないしそもとしてアニソンとか音ゲーとか展開詰め込みミュージックを聴いて育っているので特に実感はしてないんですがそういう意見を稀によく見る(ほぼ100%)のでまぁそうなんでしょう。

 

思えば別にそれは音楽だけじゃないんじゃ?と思ってます。もっと広い視点で「娯楽」とか「エンタメ」という点で見るとイントロが短いどころかそれを楽しむ際に消費する時間が短ければ短いほど好まれる傾向にあるように気がしてなりません。

 

ゲームでもスマホゲーを皮切りにカジュアルなものが流行り始めました。ちょっと空き時間にポチポチと。スマホゲーじゃなくてもインディーゲーとかもプレイ時間が短い傾向にありますよね。それは単純に作り手側のコストの事情もあると思いますがプレイする側としても「最後まで消費しきるハードルの低さ」を求める人が意外と多くてそこの需要と上手く合致してるんじゃないかな〜なんて思ったりします。あとこれは邪推ですが1本の大作ソフトをプレイするより10本の軽めなソフトをプレイしてる方がゲームオタクぶれる気がします。邪推ですよ邪推。

 

アニメも30分番組が見れなくなってきたって声を度々聞きますよね。30分が耐えられない。長い。だから緩めの5分アニメとかが意外と受け入れられたりdアニメストアでも倍速再生機能が付いていたりとにかく時間消費を抑えながらエンタメを楽しむ方向に舵が取られているような気がします。

 

なんでこんなことになってるかって言うとコンテンツが多すぎるからなのかな〜なんて思ったりします。今やネットを使えば楽しいコンテンツなんて99999999999999999999個あるわけじゃないですか。もちろん9999999999999999999999999個全部に興味が持てるわけじゃないのでじゃあ仮にゲームってジャンルに絞って数を見たとしてもたぶん999999999個ぐらいあるでしょう。死ぬほどいっぱいあるんですわ。死んでも遊びきれない量が。

 

そうなると1個1個をしゃぶり尽くして楽しむ必要が無くなりますよね、ちょって齧って美味しくなかったらポイ、はい別のコンテンツ、また齧り続けて味が無くなったらポイ、はい別のコンテンツ。前述のようにコンテンツは膨大な量があるので代わりなんていくらでもあるんですよ。残念ながら。(もちろん、ものを作る人間として代わりが存在しない唯一無二のものを作りたいって思想は否定はしないしなんならわたしもそう思ってますが現実問題なかなかそのレベルまで到達するのはむずかしいですね。 〇〇さんじゃないとこれは作れないんです!みたいな)

 

だからこそ齧った瞬間に味のあるコンテンツを作らなきゃいけなくなっている。すぐに美味しさがわかる、味がある、ガツンとくるコンテンツを。噛めば噛むほどどんどん味が出て…じゃあもう間に合わない。口に入れた瞬間に味がしなきゃ別のもんを食べ始める。しかも最初だけ味があるだけじゃダメ。そっからずっと美味しくないとダメ。味がしなくなった瞬間また吐き出して別のもんを食べ始める。

 

仮に奇抜さとか目新しさとか珍しさ勝負しても最初はいいかもしれないけどやがて味はしなくなる。珍しいものを長く見つめ続けると珍しくなくなる。記憶に馴染む。それだけを武器にするのは無理がある。人は慣れる。そしてまた飢える。継続して美味しい味を、しかもちょっとずつ変わっていく味を提供しなきゃならない。おいしく、おもしろくあり続けなきゃならない。

 

たのしいことを作る人たちってのは、ほんとうにすごくて、つらいんだろなって思う。

 

もちろんこれは商売寄りの話というか売れるコンテンツを作るにはって話なので(しかも素人が話してるだけなので)そもとして「俺は俺の作りたいようにつくるんだい!」って人には関係ないです。元来それがいちばんですから。

 

でもまぁこう今やなんでも商売に結び付けられる時代ですんでこういうことも少なからず考えていかなきゃいけないのかな、なんてまったく思いはしませんがこういう文章書くとちょっとはまともな人に見てもらえるかなと思ってそれっぽい文を書いてみました。どうですか?マトモに見えますか???もし見えなかったら私がマトモに見えるまで繰り返しこの記事を読み続けてくださいね。マトモに見えるまで読むのをやめるなよ

 

以上です。

 

 

 

 

余談。こういう流行りに対して嫌々ながら生きるために作り方とか信念を変えてまでモノづくりしてるひとも少なからずいるのかなって思うとちょっぴり…なんて言うんだろう…ことばが出てこないですね。悲しいと断ずるのもしっくりこないし可哀想と哀れむのも違う。自分を貫くこととわがままであることはイコールではないけれどそれでもある程度のわがままさは持っていないといつしか自分自身を失いそうで怖いなって思いました。

定期清掃のウロボロス

感情のメモです

 

ゴミ屋敷に住んでいるのですがさすがにどうにかしたいと思い少しずつ片づけを始めています。少しずつです。4日に1日くらいのペースです。というのもこれまでよし!!!!!やるぞ!!!!!!!今日一日で片を付けてやる!!!!!!!!!と意気込んだことが5000000000000回あったものの50000000000000回失敗しているのでそろそろ作戦変更しないと学習能力のない人みたいで嫌なのでコツコツ進める方向にしました。

 

が、いかんせん4日に1日なので私が片づけるペースより散らかすペースのほうが遥かに早く、片づけが追いつかないバグが発生しました。これは完全に想定外です。

 

これまで自分のデスク周辺を片づけていたのですが一向に景色が変わりません。机の上はメダルゲームのデケェやつみたいにゴミがゴミを押し出して机から地面に落ちてゴミクレジットがどんどん床に増えていきます。食事するたびにプラ容器とかをゴミ袋に入れるのが面倒なので足元に置いているのですがとうぜんそういうのもドンドン溜まっていきます。

 

こうなってくるとモチベーションが落ちてきます。なんだよ!!!こんなにがんばって片づけてるのにぜんぜん片付かねぇじゃねえかよ!!!!………お前のせいなのですが。

 

ということで今日は普段の活動範囲であるデスク周辺ではなく新規のゴミが貯まりにくい廊下付近を片づけてみました。廊下も廊下で物が溢れており本来の幅の半分になってしまっています。普段は幅が狭すぎて綱渡りみたいに通ります。廊下を。

 

そしたらまぁ綺麗に片付きまして。物が無くなったことで廊下の幅が2倍になりました。すげぇ~~~~~廊下が普通に歩ける。床もピカピカになったりならかったり頑固な汚れ残ってる部分あるなこれは今日やるのめんどいからあとでいいなうんとりあえずピカピカみたいになりました。だいたいピカピカです。

 

なんかこう…ちゃんと片付いたところを見ると…心がスッキリするとか達成感あるとか掃除が好きになるとか言わないといけないのかもしれませんが別にこの記事は掃除業者の提供動画というかPR記事じゃないのでそんなこと言いませんしそもそも思ってません。掃除は、めんどい。スッキリもしない。

 

ただ思ったのは「こんなにも自分はやらなきゃいけないことを先送りにしていたのか」ということです。本来人間はゴミを定期的に捨てたり処分しないといけないみたいなのですがそれをせずにここまで来たわけです。要はこの散らかってるゴミ屋敷状態って後回しにした事がモノとして可視化されてる状態ですよね。

 

そう思うと…当たってるなって思います。占いみたいになっちゃったな。ゴミ屋敷占い。いや後回し癖めっちゃあるんですよ自分。締め切りが提示されるものはギリギリに終わるし締め切りが存在しないものはそもとして永遠に手を付けない。この部屋は自分の性質をそのまま表している。部屋は自分の心を表すとはよく言ったものです。うわきったねぇなこの部屋。え、これイコール俺が汚いってこと?うそやん

 

デカい物を片づけるとその下の小さい物が下敷きになっていることがあります。それすなわち小さい物の片づけを後回しにしていくとどんどん後回しにすることのハードルが低くなっていってそのうちデカい物も後回しにするようになるってことですよね。怖いなそれ。それ、人生にも言えることかもしれ……やめましょうこわいから考えるのが。自分の人生もそうなってるかもしれないって気づくのがこわいから。やめましょう。

 

ということで片づけはしたほうがいいと思います。別に片づけしたから人生が良くなるとかいうわけではないのかもしれませんがしといたほうがいいことには変わりないと思います。いや違うなそもそもみんな片づけって当たり前にしてるのか。なにを「俺、"真理"に気づいちゃいました―――」みたいな感じで講釈垂れとるんや。そうですねこれからも片づけがんばっていきましょう。してない人はしてくださいね。はい、わかりました。

 

以上。

風呂の輪郭

思考のメモです

 

風呂を完全に真っ暗にすると何も見えないはずなのに風呂の輪郭が見えるときがあるんですがたぶんこれって毎日風呂を見ていて脳に割とイメージがあるからこそ幻覚として見えているんだと思うんです

 

その幻覚は実際正確ではなくて例えば天井だと見えているより高かったり、例えばドアだと思ってるより遠かったりするんですがこれもおそらくイメージの強さというか詳細にそれを覚えているかに依存しているのかもしれません

 

と、なると。逆に考えれば。

事細かにイメージさえできれば暗闇の中に推しキャラを等身大で幻覚することができるのではないでしょうか?はい、わたしは真面目な話をしています。

 

試しにゼノブレ2のヒカリちゃんを幻覚しようとしたのですが顔や体の大きさ、等身、さらには衣装がなかなかイメージしきれずに何も幻覚することができませんでした。平面として顔のアップをイメージすることなら一瞬出来たのですが…(ポスターを発現するイメージですね)

 

この件から得た教訓は好きなキャラでも意外と細部を認識していなかったということ。だからもっとキャラクターに着目してコンテンツに触れよう、ということ。

 

そして、わたしは絶対に暗闇に推しキャラを幻覚してみせる。

その暗闇に、私の意識が溶けることになったとしても。

 

以上、深夜テンションでした。明日は出勤です。その事実が幻覚ならよかったのに。

10000再生を達成して知ったこといくつか

この動画が10000再生を突破しました。ありがたいことです。

 

 

 

ウマ娘の人気もありますし何よりサクラバクシンオーの人気がすごいのでそのおかげで伸びてくれた感じです。

 

この動画のアイデアを思い付いた瞬間は今でも覚えていて、金曜日の退勤後にスーパーで買い物をしていてレジで精算が終わった後に急にビビッと「バクシンを声ネタに曲作ったら面白いな ってかもう頭にバクシンバクシン流れ始めてるわ うるせぇ~」と降りてきたわけです。ただそのときは絶賛太鼓の達人公募曲を制作中だったのでいつかやろう…と後回しにするつもりだったのですが。

その二日後にどうしてもそのアイデアが頭から離れず、今すぐ形にしたくなり耐えきれなくなったので制作に取り掛かった次第であります。その結果、多くの皆さんに楽しんでいただけたようで何よりです。

 

ということで本題に入りますが、わたくし、動画がこんなに露骨に伸びたことは初めてでしたのでいろいろな発見がありました。なのでそれらを適当に羅列していきたいとおもいます。ただ断っておくと「こうすれば伸びる動画が作れる!」的な話をするつもりはありません。淡々と気づいたこと思ったことを書くだけです。

 

◎コメントの伸びかたについて

最初の数百再生まではコメントはついていなかったように思います。そのあとひとつ、ふたつ、とコメントがゆっくり増えていったのですが。3つくらいコメントが付いたあたりからコメントが良く付くようになりました。どういうことなの~と考えてみましたがまずひとつが「突っ込みどころが分かりやすい動画だった」ところ、もうひとつが「既に3つほどコメントがついていることで追従してコメントがしやすい流れが作られていたこと」に起因するのかなというところです。

 

強く感じているのは後者で確かに誰もコメントしてない動画に初コメを残すのってちょっと緊張しますが、既にそれなりにコメントがついてる動画だといくぶんかコメントのハードルが下がるような気がしますね。

 

このことから思ったのは「だからこそ自分がいいと思った動画には積極的に先陣を切って1コメや2コメをしていきたい」ということです。いやこれはあれですよ、単に「1コメゲット!w」とか書き込むってわけではなくコメントしやすい流れをつくろう!って意味合いです。

 

◎どのように動画にたどり着くのか

Youtubeにはどういう導線で動画にたどり着いたのかわかる機能があるのですが、伸びが加速するまでは「検索」でたどり着く方が多かったみたいです。「バクシンバクシンバクシン」というワードで。というのもYoutubeの検索欄に「バクシン」と打つだけで「バクシンバクシンバクシン」という予測変換が出てきます。正直、その変換が出てくることを知ってたのでこのタイトルにしたってところもあります。

 

ですが、動画が伸び始めてから…というか伸び始めるときっかけになったというのが正しいのでしょうか。「おすすめ動画」から飛んでくる人が増えてきたみたいなんですね。PCなら右に表示されてるやつ。スマホなら下のほう。

 

なので動画が伸びるかどうかというのは「どの動画のおすすめに表示されるのか」という部分にも左右されてきそうです。爆伸びしている動画のおすすめ欄に自分の動画が表示されればおのずと自分の動画が伸びる可能性も高くなりますね。じゃあどうすれば爆伸びしてる動画のおすすめになれるかですが、知りませんそんなもん

 

◎平均視聴時間

同じようYoutubeの機能で動画をどのくらいの時間見続けてもらえたか、という平均時間が出るのですが。

 

動画時間が02:00なのに対して(図らずも音ゲー尺ですね)

平均視聴時間は00:55でした。

 

正直、作りながら「序盤が退屈かな~」と思っていたのですが想定以上に見続けてもらえていたみたいです。もしかすると継続して55秒見続けてもらえているわけではなくてスキップ&スキップして計55秒なのかもしれませんが。

 

というか序盤はまるまるスキップされてる可能性のほうが高いかもしれないです。この動画の一番面白いところは半分を越した後あたりからなのでそこまでザっとスキップした方々が「なんだこれ!?!?」となり55秒ほど釘付けになっていただけているような気がします。

 

よ~~~くデータを見てみたら例のサビ…の手前の展開から視聴率がちょっと良くなっているみたいなので初見の方以外は序盤すっ飛ばしてそこから見る人が多いみたいですね。

これは今後の動画づくりにも活かしたいですね。序盤でガッと視聴者を取り込んでそのまま逃さない飽きさせない工夫をどのようにして作るか。課題がひとつできました。

 

 

◎やりたいことと望まれていること

ありがたいことにこの動画でチャンネル登録者が数十人増えたのですが、この動画を通して登録してくれた人ってウマ娘動画を望んで登録してくれてる人なのかな~と思います。なかには「○○Verも作ってください!」みたいなコメントもいただいていて大変ありがたい限りなのですが…。正直今後しばらくウマ娘関連の動画を作る予定はないんですよね…。

 

一瞬、重い腰を上げて続編動画を作ろうと思ったこともありましたが、心の底から自分でやりたい!と思って出来上がったバクシン以下略ハードコアに、頼まれたからという曖昧な理由で始めた動画が勝てるわけがないと思いやめました。

 

申し訳ねぇ~~~~~~って思いでいっぱいですがやりたいことをやらせてください。

 

 

◎次の動画がめちゃくちゃ出しにくい

ってことなのですがじゃあ好きなことやるにしてもなにやるにしてもハードル上がりすぎだよなって話で。いやまぁ前述のとおりバクシン以下略ハードコアはウマ娘サクラバクシンオーのコンテンツ力の高さゆえにこの再生数を頂けていますのでもし仮に次の動画として自分のオリジナル曲を投稿すればいつもどおり数十再生程度に落ち着くのは目に見えています。

 

ですが、見えているから怖くないわけではなく。見えていても怖いものは怖いですわ。再生数なんか気にするな!って意見はごもっともではありますがやっぱり如実に具体的に数字に表れるとなると怖くてしょうがないです。

 

だからといって惰性でウマ娘の動画を作ることだけはしたくありません。「惰性で」です。私はとてもウマ娘というコンテンツを楽しんでいますし、好きです。なので中途半端に利用することだけはしたくありません。やるなら好きを前面に押し出したいし、それが伝わるような作品にしたいです。

 

 

ということで次の動画は完全オリジナルのうんちっち動画を出そうと思いますッピ~~~~~~~~~^^^^^^

 

まぁなにやるかは未定ですが

 

 

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ということで適当に書きなぐりました。

重ねてにはなりますが本当に多くの方々に再生いただけてありがたい限りです。

みなさまに少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。

 

っつってこの文章書きながらウマ娘の個別ストーリーみてるんすけどマックイーンちゃんかわいいですね お嬢様っぽいけど完璧すぎずにほどよい隙がある感じがとてもいいですよ、ああ;ぁ~~いいですよ!!!!いい!!!!!んあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああサイレンススズカ引きたい!(とうとつ

重油クロール25m

感情のメモですらないものです

 

現在進捗という進捗が芳しくなく非常に荒れています

なのでどんな手段を用いてでも感情のアウトプットをしないとどうにかなってしまいそうです

 

まぁその感情のアウトプットを音楽にぶつけろやという話なのですが聴こえませんそんなの

ってことで思いついたこと適当に書いていきます

 

何が悪いのかもわからないし何がしたいのかもわかりません

何が出来ないのかも何を実現したいかもわかりません

 

ただ確かなのは結局その原因は音楽にあるので辛さを取り除きたいなら音楽と向き合うしかないということです

 

いろんな試作品を作りだしていま9作目くらいになっていますがなにもしっくりきません俺はいったいどこへ向かおうとしてるんだ

 

そんなうつうつとした感情で臨んでいい楽曲でないことは確かなのですがどうしても世界観に気持ちを載せきることができないしそもそも実現したい世界観ってなんだよ頭からっぽだろうがよって感じです

 

別に創作ってのは正解を求め続けるゲームではないんでしょうがどうしても自分は存在しない正解を求めたがりますしそれが必要だと信じでやまない人間です厄介なことですが

 

本当のあるべき姿としてはこれが俺の正解だと叫びながら創作を投げつけるのがいいんでしょうが結局自分は相手の顔をうかがいながら創作を差し出すことしかできません 一概にそれが悪いというわけでもないと思いたいですが

 

ただ、逃げるという選択肢だけはありません

べつにボロボロになろうが死にかけようが実際に死んでしまおうがそれは構わないのですが戦わずに負けてしまうことだけは一生の傷になります

 

結局、自分が決めた道は自分しか責任をとれないので自分で歩むしかないのです

そしてそのうえで、その道で、どうしても俺は、それでも勝ちたいんだなと、いまこの文章を書きながら思い返しました

 

ま、思い返したところで進捗がズバババーンと進むわけではないっすね

 

でもやっぱ誰よりも自分にだけはまけたくないな

情報サーファー

気づきのメモです

 

最近、というより実際は生まれてからそれなりではありますが最近は特に短期的な記憶が弱くなってきました

 

単純に記憶が弱くなっているのもそうですし、常に脳内がいっぱいいっぱいな感じが拭えません

 

んで、最近人と話してて思ったんですが「べつに覚えようと思ってなかったこと」を意外と覚えてたりするんですよね

 

人が出した話題にたいして「あっ、それTwitterでみたことあるな」みたいな。重ねて言いますが特段覚えようと思っているわけでもなかったし自分から求めて得た情報ではないのですが。タイムラインにファーーーーーーーーーーーって流れてきた感じです。

 

さて、結局何が言いたいかというと昨今の情報氾濫時代においてどんな情報を得るのかを取捨選択するのは大事…ってのは前提として。そもそもとして意識しなくても無意識の領域に情報とか記憶って勝手に入り込んでしまうのでは?というはなしです。

 

興味ある話題でも無い話題でも知って得することもしないこともなんでもかんでも。結局自分の中にどんどん蓄積されていく。

 

そう考えるとTwitter…に限らずSNSってかさらに広くネットってのは便利ではあるけどおそろしい。

 

ニコニコ動画のクッソくだらない動画を見て笑ってる俺が脳の領域カツカツになってるのもうなずける気がします。

 

特段宣伝をするために文を書き始めたのではないのですが動画を作ったのでぜひ見てください。

 

 

 

 

 

そうです、賢者タイムです。

わたしはこの動画を作るために貴重な社畜の休日を丸一日費やしたのです。

そりゃ人生の1つや2つは考えたくもなるでしょ。

ついさっきまでウヒョヒョwwwwwwwって感じで動画作ってたけど夜なんだよもう明日は仕事なんだよなにがウヒョヒョだよウヒョヒョwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

強引にまとめます。

・得る情報を取捨選択するのは大事かも

・そもそも目にする情報も精査したほうがいいかも

・自分のやりたいことが明確になっていると曲と動画制作が1日で終わる

 

以上。

自分に対する期待値の高さにより生きづらくなるやつ

感情のメモです

 

自分は非常にイラつくことが多いのですが突き詰めていくとその対象のほとんどが他人やモノではなく自分自身であることが多いです

 

対戦ゲームをプレイしているとよくキレますが結局はあの場面で特定の技を出せなかった自分が悪い、だったりそのキャラの対策がしっかりできていなかったのが悪い、となったりつまるところそこら辺の意識が出来ていない自分のふがいなさにブチギレている状態になっています

 

音楽を作っている時なんて顕著ですね、別に作曲なんてひとりの行為であることがほとんどなので誰にキレるわけでもないですがめちゃめちゃムカついてるんですね、

 

結局これもうまいアイデアが出てこない自分のふがいなさ、アイデアがあっても上手く形にして表せないその無力さにブチギレているわけです

 

 

では、なぜこうも毎回毎回ブチギレる羽目になるのか?

ここでタイトルに帰結するわけですね

 

俺はもっとうまくできるはずなのに、俺はもっと勝てるはずなのに、俺はもっといいアイデアが出せるはずなのに、俺ならもっといいメロディが、構成が、雰囲気が、えとせとらえとせとら。

 

俺の中の俺があまりにも最強すぎる問題。

もしくは自分の弱さを素直に直視できていない問題。

 

ここらへんがうまくいってる人はどんな結果にも「まぁこんなもんでしょ」と鼻息を荒げることもなく「つぎはこうしてみるか~」と肩の力を抜いた感じで、それでも確実に一歩一歩いい方向へ向かえるわけです。

 

対して俺。「俺の力はこんなもんじゃない」「俺はお前らとは違う」「俺が一番正しい」…とまではいきませんがこういうような「できて当たり前」な思考がこびりついているので頑なにそのダメなやり方を是正しようとしなかったり何がダメかを考えようとしなかったり(そもそも俺をダメだと認められていないため)どんどんイライライライラしていってそのあげくブチギレてしまうわけですね

 

無駄なストレスだな、とつくづく思います。

ここまでわかっていればあとは改善するだけ…なのですがいかんせんそれが一番難しい。

 

何故なら、

「俺の力はこんなもんじゃない」

「俺はお前らとは違う」

「俺が一番正しい」

からです。

 

うそです。半分。でもやっぱり心の底に頑固な俺がいて自分に対する期待値を下げきれないのです。「できて当たり前」の思考、生きるにあたって厳しすぎる。

 

「できないのが当たり前」

「できたらできたですごい!」

 

こういうマインドを身に着けておくと人生においてかなり有利な立ち回りができるようになるんじゃないでしょうか。

 

ものすごく余談なのですが先日太鼓の達人を久々にプレイしたとき隣の台で遊んでいた中学生くらいの女の子が親の仇の如くパワーで太鼓を叩いていてとても怖かったです。あれは本職の和太鼓パフォーマーの方だったりしたのでしょうか?たぶんあのパワーで頭殴られてたらふつうにしぬと思うので殴られなくてよかったな~と心から思ってます。ゲームとして出る「ドン」の音よりリアルで発される「ドン」の音のほうが大きかったし、なんなら「ドン」じゃなくて「ボォン!!!!」って音でした。パンチングマシンと勘違いしてお金を入れてしまったのでしょうか?一打一打しっかり「ボォン!!!!」「ボォン!!!!」って音が鳴ってたのでなんかもう戦場みたいでした。しっかりあまりにもフルパワーの達人すぎてめっちゃ笑ってしまってましたがマスク付けてたのでバレてないと思います。バレててもめちゃめちゃ笑顔で太鼓の達人やってる人なのでセーフ。